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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2905号 判決

控訴人 株式会社埼玉銀行

被控訴人 永井英儀

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は「本件控訴を棄却する。」旨の判決を求めた。

当事者双方の事実に関する主張及び証拠関係は、次に附加訂正するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

原判決五枚目表四行目「三抗弁」から六枚目裏末行目「再抗弁を争う。」までの部分を次のとおり訂正する。

「三 控訴人の相殺の抗弁

1  自働債権について

控訴人は昭和四六年七月三一日第一管財株式会社(以下「第一管財」という。)との間で、継続的銀行取引契約をし(以下「本件銀行取引」という。)、これに基づき、控訴人は昭和四七年一二月二三日第一管財に対し、金一億円を弁済期昭和四八年三月二三日、利息年八%(後に年一〇・五%に変更)、遅延損害金年一四%と定めて貸与し、昭和五〇年一〇月四日現在で残元利合計金二、五六九万〇、四一〇円の債権を有していた。

2  受働債権について

控訴人は昭和五〇年一〇月四日手形交換所から、原判決請求原因記載の約束手形異議申立提供金一〇〇万円の返還を受け、控訴人は同年同月同日第一管財に対し、右異議申立のため預託された金員(以下「本件預託金」という。)の返還義務を負うにいたつた。

3  相殺について

前記12の各債務は同種の目的を有する金銭債務で双方の債務が弁済期が到来していて相殺適状にあつたから、控訴人は昭和五〇年一〇月四日、同月六日到達の内容証明郵便で第一管財に対し、右2の債務と、右1の貸金残債権のうち金一〇〇万円との対当額でこれを相殺する旨の意思表示をしたから、これによつて右2の債務は消滅した。

四 控訴人の抗弁に対する被控訴人の答弁、仮定再抗弁

1  控訴人主張三1の事実および3の債務消滅の主張は争う。

2  仮に控訴人がその主張する自働債権を有していたとしても、

(一)  右債権の弁済期は昭和五〇年六月三〇日であるところ、前記のようにその後被控訴人において預託金返還請求権の仮差押をした際民訴法六〇条による第三債務者の陳述を求めたに対し、控訴人は右債務の存在を認め、履行期が到来すれば全額これを支払う旨の陳述書を提出したのであるから、控訴人はこれによつて、相殺の権利を放棄したものである。

(二)  仮に右(一)の主張が理由がないとしても、被控訴人は右陳述により被差押債権が存在し、その弁済が得られるものと信じてその転付を受けたものであるから、控訴人が被控訴人に対し相殺による被差押債権の消滅を主張することは、信義則上許されない。

五 被控訴人の仮定再抗弁に対する控訴人の答弁

(一)  本件銀行取引の残貸金債務である前記自働債権の弁済期が最終的に到来し、債務者が履行遅滞となつたのは、昭和五〇年一〇月三日である。すなわち、本件自働債権は、継続的取引である本件銀行取引に基づき手形貸付の方法によつて貸し付けられたものであるが、この方法による貸付においては、各貸付ごとに各貸金債務の支払確保のため手形の振出交付を受け、その満期を一応二、三か月先の期日とするけれども、必ずしも当然に満期にその全額の弁済が予定されているわけではなく、借主において資金の余裕を生じた範囲内で右手形金の一部を支払い、あるいは利息のみを弁済し、残金については双方協議の上その弁済期を延期し、それに見合う手形を書替えの上振出交付する方法を全部弁済にいたるまで繰り返すのであり、当事者は双方とも当初からこれを予定しているのである。その意味において、当初の手形の満期日は決して貸付金の確定的弁済期を意味するものではなく、その点において、公正証書により支払方法・弁済期を確定してなされるいわゆる証書貸付とはその意味合を異にするのである。それ故、右の場合手形の書替による弁済期の延期をもつて、新たな貸与とみることは相当ではない。控訴人の第一管財に対しする本件銀行取引による貸金残金の内金二、五〇〇万円の債権についても、前記のような意味合においてその弁済期が同年一二月三一日まで延期されていたものであるが、第一管財は同年一〇月三日手形交換所の取引停止処分を受けたため、控訴人と第一管財との間の本件銀行取引における手形交換所において取引停止処分を受けたときは期限の利益を失い残額を直ちに支払う旨の特約(約定書五条一項四号)により、本件銀行取引による貸金残債務全額につき同年同月同日期限の利益を失い、前記自働債権の弁済期が到来するにいたつたのである。

(二)  一般に、債権の差押(仮差押を含む。以下同じ。)がされた場合においても、第三債務者は、自己の有する反対債権が右差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権及び受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後でも右反対債権をもつて被差押債権と相殺できるものである(最高裁昭和四五年六月二四日大法廷判決)。したがつて、控訴人が本件預託金返還請求権について仮差押を受けた後に弁済期の到来した本件銀行取引による貸金残債権である前記自働債権をもつて相殺することは、なんら妨げられない。

(三)  被控訴人の四の2の(一)の相殺権放棄の事実および同(二)の主張は、すべて争う。」

原判決七枚目表五行目「各二」の次に「の成立」を、「一ないし一一の」の次に「原本の存在およびその」を各附加する。

理由

一  被控訴人の請求原因についての判断は、原判決理由一と同一であるから、これをここに引用する。

二  控訴人の相殺の抗弁について

1  控訴人主張の自働債権の存在およびその内容、その成立から弁済期の到来にいたる経緯、控訴人による相殺の意思表示にいたる経緯についての当裁判所の判断は、次に訂正するほか、原判決理由記載(原判決八枚目裏三行目から同一〇枚目表六行目まで)と同一であるから、これをここに引用する。

原判決八枚目裏三行目「第一号証の二、」の次に「原本の存在およびその成立に争いのない」を附加する。

2(一)  右認定事実によれば、自働債権である本件貸金残債権は、控訴人において被控訴人が受働債権である第一管財の控訴人に対する預託金返還請求権を仮差押する前に取得したものであり、第一管財が取引停止処分を受けた日である昭和五〇年一〇月三日、本件銀行取引契約の特約に基づいてその弁済期が到来し、他方預託金返還請求権は、控訴人が異議申立提供金の返還を受けた日である同月四日確定弁済期が到来したものであるから、同日をもつて両者は相殺適状となり、したがつて特段の理由のないかぎり、控訴人が第一管財に対し右日付で同年同月六日到達の書面による意思表示をもつてした相殺により前記預託金返還請求権は消滅し、かつ、控訴人は右消滅をもつて被控訴人に対抗しうるものといわなければならない。

(二)  この点に関し、被控訴人は、控訴人が右相殺において自働債権とした本件貸金債権は、受働債権である預託金返還請求権に対する仮差押命令が控訴人に送達された日より前の昭和五〇年六月三〇日に弁済期が到来し、すでに履行遅滞の状態にあつたにもかかわらず、右仮差押命令に附随して被控訴人の申請により発せられた第三債務者に対する陳述命令に対し、控訴人は被仮差押債権の存在を認め、かつ、控訴人においてその支払の意思がある旨を記載した陳述書を提出したのであるから、控訴人はこれにより右貸金残債権をもつて相殺する権利を放棄したものというべきである旨、およびそうでないとしても右陳述に依拠し、その後に前記預託金返還請求権の差押、転付を受けた被控訴人に対し、信義則上相殺をもつて対抗することができない旨主張する。

成立に争いのない甲第一号証、乙第一、第二号証の各二、原本の存在とその成立に争いのない乙第七号証の一ないし一一、原審における証人阿佐美勲平の証言およびこれにより成立を認めうる乙第一、二号証の各一(ただし、いずれも官署作成部分の成立は争いがない。)、第三号証、第四号証の二、三、第五号証、第六号証の一、二、および弁論の全趣旨をあわせると、次の事実を認めることができる。

(1)  本件銀行取引契約に基づいて控訴人が第一管財に対して行つた融資は長期貸付であり、各貸付はいずれも数か月先を満期とする約束手形を振出交付させて行ういわゆる手形貸付の方法をとり、その場合各手形の満期はこれを貸付金の確定的弁済期とする趣旨ではなく、第一管財の経済状況に応じ、満期に資金の余裕を生じた範囲においてその一部を弁済するが、残金については双方協議のうえ弁済期を延ばし、それに見合う書替手形を交付させ、これを全額弁済するまで反覆するというものであつた。

(2)  控訴人が第一管財に対し本件銀行取引により昭和四七年一二月二三日に貸し付けた金一億円についても同様であり、これについてはその後数回にわたり、一部弁済を受けた残金につき手形の書替による弁済期の猶予がなされ、最後に残金二、五〇〇万円につき昭和五〇年三月二九日書き換えられた手形の満期は同年六月三〇日となつていたが、さらにその書替をするにあたつて、第一管財から、その営業の見透し上今後は従来のような形での融資を必要としなくなつたので、この際貸付金の精算をしたい旨の申出があり、控訴人もこれに応じ、両者間で貸付金の最終弁済期の確定等に関する協議が行われた。

(3)  他方そのころ、第一管財は、控訴人を支払銀行として振り出した一一通の約束手形がいずれも騙取されたものであるとして、その手形が交換に回り、不渡処分を受けるような事態を回避するため、控訴人に対し、昭和五〇年六月三〇日から同年九月二〇日までの間に一一回にわたり、異議申立のための提供金として本件預託金を含め合計一、二五〇万円を預託した。右のような事情にあつたため、控訴人は、同年七月二六日本件仮差押命令の送達を受けたが、第一管財の信用状態に格別不安を抱かず、本件銀行取引契約には債務者が他から仮差押等を受けた場合には期限の利益を失う旨の約款が存するにもかかわらず、これを援用して弁済期延期の交渉を打ち切ることもなく協議を継続し、同年八月一四日、最終弁済期を同年一二月三一日に延期することを決定した。前記仮差押命令に附随して発せられた陳述命令に対し控訴人が同年七月二八日付の書面をもつて被控訴人主張のような回答をしたのも、右のような事情によるものであつた。

(4)  しかし、第一管財はその後営業継続の意思を失い、前記騙取されたとする約束手形に対する異議申立を撤回したため、前記のように昭和五〇年一〇月三日不渡処分を受け、異議申立提供金はすべて翌四日控訴人に返還されたので、控訴人は本件銀行取引の約定に基づき、前記相殺の処置をとるにいたつた。なお、控訴人は、相殺の意思表示をすると同時に、同月五日到達の書面で被控訴人に右相殺をした旨の通知をした。

以上の事実を認めることができ、これを左右する証拠はない。

右に認定した事実に徴するときは、控訴人が本件貸金残債権をもつて預託金返還請求権と相殺することなく前記のような第三債務者陳述をし、また、その後右貸金残債権の弁済期を延期する措置をとつたとしても、当時右預託金返還請求権の弁済期は未確定で相殺適状にはなかつたこと、ならびに控訴人が上記措置をとつた経緯および理由に照らすときは、これをもつて控訴人が右貸金残債権による相殺権を放棄したものとなしえないことは明らかであり、他にかかる放棄の事実を認めるに足りる証拠はない。よつて被控訴人の相殺権放棄の再抗弁は理由がない。

次に、被控訴人の信義則違反の主張について考えるのに、控訴人が前記第三債務者陳述において将来における相殺権の行使につき留保することなく弁済期における支払意思を表明したからといつて、これにより控訴人が被控訴人に対し相殺権不行使の意思を表明したものであるとし、控訴人は信義則上将来における相殺による債権消滅を主張しえない拘束を受けるにいたつたものと解すべき理由はないし、また、控訴人が右陳述書の提出に加えてすでに弁済期の到来していた本件貸金残債権の弁済期を延期しておきながら、その後第一管財が不渡処分を受けるや、一転してその態度を変更し、右残債権の弁済期が到来したものとして相殺権を行使したとしても、上記認定にかかるその間の経緯に照らすときは、控訴人のかかる態度変更は、債務者である第一管財の信用状態の変動に伴う対応措置としてあながち非難されるべきものというにあたらず、これを目して信義則に違反する行為ということはできない。のみならず、本件において被控訴人が本件預託金返還請求権の差押転付命令を申請したのは、控訴人が相殺をした旨被控訴人に通知したのちのことであるから、被控訴人は右事実を了知しながら専らそれ以前にした仮差押の効力に依拠して右申請に及んだものと考えざるをえず、かかる被控訴人の立場は、債権者が債権差押命令と同時に第三債務者に対する陳述命令を申請し、右陳述命令に対し第三債務者が無条件支払の意思を表明したことに依拠して直ちに転付命令を申請し、これを得たところ、その後において予期しない相殺権の行使に遭遇したというような場合とは全くその趣きを異にし、これと同一に論ずることをえないものであつて、この点からも信義則上相殺の効果の対抗力を否定すべき特段の理由ありとはなし難い。控訴人の上記再抗弁は、採用することができない。

なお原判決は、被控訴人の上記再抗弁に触れることなく、本件において控訴人が本件預託金債権の仮差押当時すでに反対債権である本件貸金残債権の弁済期が到来していたにもかかわらず、右仮差押後にその弁済期を延期したことをもつて、仮差押後に新たに金員を貸し付けた場合と同様に、もはや右貸金残債権をもつて相殺することにより自己の右預託金返還債務を免れる合理的期待をもちえなくなつたものと解し、控訴人は相殺による債務消滅を被控訴人に対抗しえないものとして控訴人の相殺の抗弁を排斥している。しかしながら、第三債務者が反対債権をもつて相殺することにつき合理的期待利益を有するかどうかによつて相殺の能否を決すべきものとする解釈の当否はしばらく措くとしても、本件においては本件貸金残債権の弁済期の性質、控訴人が右弁済期を延期した趣旨および経緯が上記認定のとおりであつたこと控訴人と第一管財との本件銀行取引契約には不渡処分による債務者の期限の利益喪失の約定が存在していたことその他上記認定の諸事実に照らすときは、控訴人が右弁済期延期の措置をとつたことにより相殺による債務免脱の合理的期待を喪失するにいたつたものとすることは相当でなく、また、一般に銀行は預託金返還請求権については自己の反対債権をもつて相殺するにつき合理的期待利益を存しないものと解することもできないから、原判決の右判断は結局不当といわなければならない。

右の次第であるから、控訴人の相殺の抗弁は結局理由があるというべきである。

三  以上のとおりであるから、被控訴人の本訴預託金返還請求は失当として棄却すべきところ、これと異なる原判決は失当で本件控訴は理由があるので、原判決中右請求を認容した部分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村治朗 蕪山厳 高木積夫)

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